大判例

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松山地方裁判所 昭和34年(わ)357号 判決 1960年3月18日

被告人 吉木博

大一四・七・一五生 無職

主文

被告人を懲役六月に処する。

但し、本裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は日本人であるが、昭和二十八年八月下旬から昭和二十九年八月下旬までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦から本邦外の地域である中華人民共和国に向け出国したものである。

(証拠の標目)(略)

(前科)(略)

(弁護人及び被告人の主張に対する判断)

一、被告人の出入国管理令第六十条及び旅券法第十三条第一項第五号は、日本国憲法第二十二条第二項に違反するものであり無効であるとの点について。

被告人は、日本国憲法がその前文において「日本国民は……われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。……日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。われらは……自国の主権を維持し、他国と対等の関係に立とう……。日本国民は全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と日本国民の平和擁護義務を明記し、第九条は戦争の放棄を宣言し、第十一条は国民の基本的人権の不可侵性を規定した上、第二十二条第二項には外国移住(旅行)の権利を明白に定めている。しかるに出入国管理令第六十条は日本国民が外国に渡航するには旅券を貰つた上でなければならないと定め、同令第七十一条は右規定に反して出国した場合はすべて犯罪として処罰する旨規定する。右規定は旅券法第十三条第一項第五号と切り離して考えることはできないばかりでなく、わが国歴代の外務大臣は旅券法の右規定をたてにして、これまで日本国民のソ連及び中華人民共和国への旅券発給を何等の合理性のない口実によつて拒否して来ているもので、われわれは出入国管理令及び旅券法の右規定は明らかに憲法に違反し無効であると主張する。

しかしながら日本国憲法第二十二条第二項の「外国に移住する自由」には外国へ一時旅行する自由をも含むものと解すべきであるが、外国旅行の自由といえども無制限に許されるものでなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものであつて、旅券法第十三条第一項第五号が旅券発給を拒否することができる場合を規定したのも、外国旅行の自由に対し公共の福祉のために合理的な制限を定めたにほかならず、何等無効の規定といえないことは既に最高裁判所の判例(最高裁判所昭和二十九年(オ)第八九八号、昭和三十三年九月十日大法廷判決)の示すところであつて、その運用にあたつては公正、慎重になさるべきで濫用の許されないことは勿論のことであるが、右規定そのものは何等憲法に違反するものではない。そして又、日本人の出国について規定した出入国管理令第六十条は、国民の出国それ自体を法律上制限したものではなく、単に出国の手続に関する措置を定めたものであつて、事実上かかる手続的措置のために出国の自由が或る程度制限されることがあるにしても、これは同令第一条に規定するとおり本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人々の出入国の公正な管理を行うという目的を達成する公共の福祉のために設けられたものであるから、これをもつて日本国憲法第二十二条第二項に違反するものということはできず、従つて同令第六十条の出国手続制限の規定に違反して出国した者を罰する同令第七十一条が適法有効であることは論を俟たない。

二、被告人の本件出国がいわゆる正当行為ないしは期待可能性のない行為であるとの点について。

被告人は、当時朝鮮における動乱が第三次世界大戦に発展する虞れが多分にあつたのでこれを防止し、世界平和特にアジアの平和を守るため、又日本人民が平和な日本を建設し、そして世界の平和に貢献するためには、世界の平和愛好者特に中華人民共和国の人民と友好親善を結ぶこと、そしてあらゆる機会を利用して日本人民の日中友好、世界平和を望む声を中国人民に伝えると共に、中国人民の協力を得ることが被告人に課せられた使命であり、かつ急務であると考え、あえて中華人民共和国に渡つたものである。ところが日本国政府は当事ソ連、中華人民共和国向けの旅券の発給を不当にも事実上拒否しており、かつ被告人は共産党員であるため、仮りに被告人が旅券発給の申請をなしても、当時の状勢からその発給を拒否されることは明白であつた。かかる事情のもとで、出入国管理令所定の手続を践まずに出国したとしても、被告人の行為は期待可能性がないし、又前示のとおり本件出国はその目的に照らし平和を守ろうとする日本国民としての当然の行動であり正当行為である旨主張する。しかしながら、旅券法、出入国管理令がいずれも憲法第二十二条第二項に違反するものでないことは前述のとおりであるから、本邦外の地域に赴こうとする日本人が、法定の手続を践むべきことを要請されるのは当然といわなければならない。たとえ被告人の主張するが如き目的のためであつても、出入国管理令は勿論、あらゆる法秩序を無視してならないことはこれ亦当然のことであつて、出入国管理令第六十条所定の手続を践まないで不法に出国すれば、これが違反の責を負うものであることはいうまでもない。仮りに国民の海外渡航に関し、関係行政庁において、違法或は著しく不当な処分があつたとするならば、先ずこれに対する不服申立により、右処分の是正を求めるべきであり、かかる法律上の制度も存するのであるから、単に被告人の主張するような理由だけでは、いかに被告人が自己の行為を正当止むを得ないものと確信していようとも、被告人が何等の旅券発給の申請手続もせず、旅券の交付も受けないで出国しなければならない程に公共の福祉のために緊急かつ必要なものであつたとは認め難く、従つて正規の手続を経、旅券の発給を受けて出国すべきであつたと期待しても少しも被告人に酷に失するものではないし、まして被告人の本件出国が正当行為であると解することはできない。被告人のこの点の主張は、本件が刑法第三十五条或は期待不可能の各種要件を何等具備しないのに拘らず、独自の前提に立つ論で到底採用することはできない。

三、被告人及び弁護人の本件は公訴の時効が完成しているとの点について。

弁護人及び被告人は、本件公訴時効は三年であるが、起訴状記載の公訴事実によれば、被告人は昭和二十八年八月下旬から昭和二十九年八月下旬までの間に本邦から中華人民共和国に向けて出国したというのであるから、遅くとも昭和三十二年八月下旬には本件公訴の時効は完成している。又刑事訴訟法第二百五十五条第一項前段の「犯人」とは同規定が公訴の時効の進行を停止するという特別規定であり、又同項後段の規定の趣旨から考えて、捜査官に覚知されていることが要件となるものであるから、捜査官が被告人の出国の事実を覚知していなかつた本件においては公訴の時効の進行は停止せず、遅くとも昭和三十二年八月下旬には公訴の時効は完成しているから免訴の判決をなすべきであると主張する。

しかしながら刑事訴訟法第二百五十五条第一項にいう「犯人が国外にいる場合」の「犯人」とは、時効制度の本質と「犯人」につき何等の制限を加えた文言のなきことに照らし、客観的な犯罪行為者を意味し、捜査官に覚知された者であると否とを問わぬと解すべきであつて、国内において時効期間が進行するためには捜査官に犯人が覚知されていると否とに係らないこと同様その義を異にする理由は全くない。そして犯人が「国外にいる場合」とは、一時旅行の場合を除き、日本の行政権、司法権の及ばない地域にいる場合を指すものであることはいうまでもない。ところで新刑事訴訟法においては、公訴時効の停止は原則として公訴の提起によつてのみ認められているばかりでなく、(刑事訴訟法第二百五十四条)裁判所は、公訴の提起があつたときには、必ず起訴状の謄本を被告人に送達しなければならず、公訴の提起のあつた日から二箇月以内に起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の提起はさかのぼつて効力を失うとしたのである。(刑事訴訟法第二百七十一条第二項)。犯人が国外にいる場合にも送達の方法が全くないわけではないが(刑事訴訟法第五十四条、民事訴訟法第百七十五条)このような場合に果して公訴の提起の日から二箇月以内に起訴状の謄本の送達ができるかどうかは疑わしく、かかる場合にも公訴の提起、二箇月以内の起訴状の謄本の送達を要するとすると公訴時効の停止の方がないこととなる。このような弊害を防止する趣旨で、「犯人が国外にいる場合」には、その「国外にいる期間」時効期間の進行を停止するとしたものと解するのが相当であつて、犯人が逃げ隠れているために起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知のできない場合と異り、捜査官に覚知されていると否とに拘らず、又起訴状の謄本の送達の能否もその要件となつていないことは、その立法趣旨、条文自体に照らして明らかである。本件においては、被告人が昭和二十八年八月下旬から昭和二十九年八月下旬までの間に、所定の手続を践まないで本邦から中華人民共和国に向け出国し、本邦領海を離れたときに本件犯罪行為は完成し、同時に公訴の時効はその期間の進行を停止したものと解すべきである。そして本件記録を精査するも、被告人が本件不法出国以来、再び本邦領海内に入つたとき即ち昭和三十四年十二月十五日愛知県名古屋港に入港するまでの間、一度も帰国した事実は認められないから、被告人に対する三年の公訴時効は、前示本邦領海内に入つた昭和三十四年十二月十五日から進行を始めたものというべきであるから、本件公訴の提起された昭和三十四年十二月二十六日には公訴時効の未だ完成していなかつたことは明白である。

以上のとおりであるから、被告人及び弁護人の各主張はいずれも採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、出入国管理令第六十条第二項、第七十一条に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、なお被告人には前示前科があるので刑法第五十六条第一項、第五十七条に従い法定の加重をなして刑期範囲内で被告人を懲役六月に処し、情状刑の執行を猶予するを相当と認めるので同法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予することとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 伊東甲子一 加藤一芳 石田恒良)

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